人生のマサカ乳がんステージゼロ

非浸潤性乳がんになったアラフィフ主婦のブログです。

父の話 〜COPDを知っていますか ③〜


父が車椅子になった時「在宅酸素療法を受けていると身体障害者手帳をもらえる」とのアドバイスで、専門医の診断を受けに行った。





専門医から、父の肺の画像は肺年齢90代だと。(当時78歳)



一般的に行われる肺活量測定は、命に関わるからやらなくていいと言われた。




それじゃあ苦しいわけだ…、と納得した。





前日の続きです





もう一つの病院を見に行った。




その病院もとてもキレイで、担当の男性が親切に説明してくれた。



病室は部屋ごとにドアが閉められていてカーテンもしてあった。



大部屋の一人一人のスペースも広めに取られていて、実家からもまあまあ近いし、その病院に決めた。




しかし、都立病院から看取りの病院にすぐ転院できる訳ではなかった。




満床で空きが出るまでワンクッションの病院に転院することになると。




ワンクッションの病院も家族面談し、古い総合病院で施設はイマイチだったが繋ぎの病院で長く居る訳じゃないし、まあ仕方ないかと母と決めた。




都立病院の主治医に、

「もうずっと病院から出られないとなると、家族からの説明だと介護をしたくないからだと思われかねないので、私から上手く説明します」と言われた。




自宅に帰れないショックで病んでしまう場合があるので、転院の前日に自分から説明すると。




転院の日が決まり、前日の夕方に主治医から説明を受ける事が決まり、家族皆で話を聞く予定にしていた。




病院の事務方と主治医の連携が取れていなかったらしく、とりあえず退院となるので、事務員が入院費の請求書を昼間、父本人に渡してしまった。




父は自宅に帰れると思い込み、

「退院だってよ〜!」と喜んだ。




その後、主治医から自宅での介護は命の危険性が高まるため、今の体の状態では病院にいた方がいいと説明され、とりあえず納得した。




ぬか喜びをさせられた父の落ち込みようは見ていられなかった。




翌日の朝、転院のため久しぶりに私服に着替えていた父は、ボタンをするのにも息切れしていた。



都立病院が介護用タクシーを予約しておいてくれて、料金は障害者手帳交付でもらったタクシーチケットで賄えた。




ワンクッションの病院は普通の古い総合病院だったので、9時で消灯のため父の好きな映画は観られない、病院食も不味そうで、おやつは厳しく制限された。





そこでの父は不安定になり、荒れた。




もう一生病院という現実に「金食い虫なだけだから生きててもしょうがない」とか言って涙を浮かべたりした。




毎日来ている母が、指を怪我して予定のお見舞いの時間に来られなかった日は

「心配してるんだから連絡ぐらいしろよッ!!」と怒鳴り散らした。





7月下旬、2ヶ月が経った頃やっと看取りの病院に転院となった。





病院に入る時、

医師に「60で禁煙したんですけど。」と言ったら、「壊れた肺胞は元には戻らないから遅くとも50代で禁煙してないとね」と言われた。




そこでは基本イヤホンをしていれば好きな時間までテレビを観られて、おやつも好きなだけ食べられた。 



食事もまあまあ美味しそうだった。




父は、ベッドの上だけの生活でも食欲はあっておやつも美味しいってよく食べてるとLINEで母から聞いていた。


「いなくなって嫌われたくないから、心を入れ替える」と言ったこともあったらしい。




姉の家が自転車で通える距離だったので、仕事帰りによく様子を見に行ってくれていた。




私達が10月の上旬に見舞いに行った時はまだ元気そうだった。



そのあと私と娘が風邪をひいてしまい、なかなか行けなかった。








10月下旬になり、父が食欲がなくなってきたから検査してもらったと母から聞いてはいた。




姉に「今のうちに会っておかないと後悔するかもしれないから会ったほうがいい」と連絡をもらい、娘を早退させて駆けつけた。




ナースセンターから一番近い個室に移されていた父は、もう以前の姿ではなかった。



食べられなくなり、話すこともできなくなって、ただ苦しそうに息をして寝ていた。




看取りの病院は延命治療はしないと合意の上での入院の為、もう見ていることしかできなかった。




「黒い影が来て怖いから、ドアを閉めないでほしいって言ってたんだよ」と姉から聞いた。


最期が近づくとそういうのが見えるのかもしれない。





二週間後、痩せ細って父は逝った。




80の誕生日を迎える一ヶ月前のことだった。






あぁ、食べられなくなると本当に終わりなんだな…と思った。






コロナ禍の入院でなくて父は幸せ者だったと思う。



毎日お見舞いに来てもらえて、一周忌までは親族みんなが集まってくれて盛大に出来たのだから…






長い長いブログをここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。




これを読んで、一人でも「禁煙しよう‼️🚭」と思ってもらえたら嬉しいです。




長年の喫煙で息切れや咳の症状が出ていたら、病院でぜひ検査してほしいと思う。





墓参りの帰り道、駅の構内で気になるガチャガチャを見つけてつい購入。


(今はガチャガチャって言わないか💦)



卵かけご飯ライト‼️💡


カプセルレスってところが素晴らしい✨


見本より醤油に見えないけど…


電気をつけたところ💡

(電池交換可能)



今はいろんなのがあるね〜😳