父の話 〜COPDを知っていますか ②〜
父が歩けなくなってきた時、車椅子を借りようと、母と実家近くの地域包括支援センターを訪ねた。
そこで初めておむつなど安価で提供してもらえる事を知ったし、施設でお風呂にいれてもらえることを知った。
自宅での入浴用の風呂椅子も借りることができた。
もっと前から調べておけばよかったと後悔した。
介護認定を受けるには、家に担当者が見に来たりして意外と時間がかかった記憶がある。
父が在宅酸素療法を始めてから困ったこと。
実家が狭いので、正月には毎年皆で集まって外で食事会をしていたのだが、冬は卓上コンロを使うコースを扱っている店が多く、店探しが大変だった。
(引火の危険性があるため火気厳禁)
やっとのことでIHを使っている車椅子OKの店を見つけた。
前置きが長くなりましたが前日の続きです
父は、症状が落ち着けばまた自宅へ帰れると信じて疑わなかった。
狭い実家の居間に介護用ベッドとポータブルトイレを置いたとしても母が一人で下の世話を毎日やるなんてどう考えても不可能だったので、皆で相談して父に内緒で看取りの病院を探すことに決めた。
姉と妹は仕事をしているので、母と私で探すことになった。
都立病院の相談窓口で最初に提案されたのは、頻繁に行くには不可能なド田舎の病院だったりしたが、色々調べて、最終的にそこそこ自宅から近い所を2箇所、候補に決めた。
入る前に家族面談が必要で、施設内を見学させてもらえて質問も色々できた。
最初に見学した病院。
まあまあキレイで、担当の事務の女性の感じもとても良かった。
女性が「皆さん、何ヶ月もお見舞いに来なくなってしまう方が多いので、少なくとも一ヶ月に1回は様子を見に来てください」
と言った。
病院内を見学させてもらって驚いた。
患者の急変に対応する為との事で、病室のドアとカーテンは全部屋開けっ放しで寝ている患者が丸見えだった。
どの部屋にも痩せ細った患者が寝ていた。
4人部屋なんて、4人が横一列に並んでいたので、失礼だがミイラが4体横たわっているように見えた。
「生きてるって何だろう。これで生きてるって言えるのか」と、正直思ってしまった。
この病院はないね…と母と意見が一致した。
長くなったので、また続きます…