人生のマサカ乳がんステージゼロ

非浸潤性乳がんになったアラフィフ主婦のブログです。

免許更新 5年前を回想する

運転免許の更新に行った。 

前回の更新の時、夫は入院中だった。



5年も前の事なので大分記憶が薄れてきているが、免許証を見る度に当時を思い出した。

この時は本当に大変だった。




遡ること数日前、真夜中に夫が突然呻き声をあげて苦しみ出したのでビックリして飛び起きた。

お腹の辺りが痛いと七転八倒していた。

熱も出ていたと思う。

これは普通じゃないと、すぐに救急車を呼んだ。

2〜3分で来てくれた。

救急隊員が土足でドタバタしていたのに(靴カバーはしてくれていたが)娘は最後まで爆睡していた。


搬送先が決まり、夫だけ先に連れて行ってもらって、夜が明けて娘を学校に行かせてから病院に向かった。


病院に着いたら夫が大イビキで爆睡してたので「大したことないのかな」とホッとした。

看護師に起こされるまで寝ていた。


その後、色々検査をさせられて、医師からまさかの一言。


「急性胆嚢炎です。このままにしておくとまた同じ症状になるだろうから、胆嚢を取る手術をします」

確か、そんな感じの事を言った。


胆嚢炎って病気を知らなかったし、胆嚢って取っても大丈夫なのね、と思った。



疾患と治療方法 ~胆石症とその治療について~ | 外科・消化器外科 | 診療科 | 診療科・部門 | 聖隷横浜病院



胆汁をドレーンで出してから手術することになり、管をつけた生活が数日続いた。


夫が毎日お見舞いに来てほしいと言うので毎日通った。

当時、ずっと雨続きで、毎日パジャマを洗濯した後、浴室乾燥機で乾燥させなければならなかった。


点滴を付けっぱなしなので、自分で洗髪ができず、看護師に頼むのもイヤだと言うので一日置きぐらいに病院の洗面所で洗髪した。


そんなある日、胆嚢摘出手術の日が決まった。

まさかの、娘の運動会の前日だった。


胆嚢摘出手術には、腹腔鏡手術が一般的らしかったが、夫には手術歴があったので義父が開腹手術の方が安全だというので開腹でやってもらう事になった。


手術当日、義両親と朝から晩まで病院内で待機する事になった。

手術が終わったとき、取った胆嚢はこんなでした、と見せられた。


自宅に帰ったのは夜の8時半ぐらいだったと思う。 

ママ友が娘をずっと預かってくれて、夕飯まで御馳走になっていた。とても助かって感謝している。


その後、ヘトヘトになりながら弁当の下ごしらえをした。

翌日の運動会のお弁当は、半分が冷凍食品となった。

その日は母が電車ではるばる見に来てくれた。

運動会当日も、いつ雨が降り出すかわからないような天気だった。

午後の競技の途中で土砂降りの雨になり、残りは平日に延期となった。

「最初から延期にしといてくれたらよかったのに」と、心の中で思った。


その後、母を連れて夫のお見舞いに行った。



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5年後の近い未来に、学校の行事が簡単に中止になってしまう世の中になるなんて、思ってもみなかった。



次の更新の時は、みんなが元気でありますように…



(※ 5年前の更新は摘出手術の3日前に行った)